証券トレーダーは薬指が長い人の方が向いているという新聞記事が目に留まった。 |
記事によると、母親の胎内にいる時に、男性ホルモンが多く作用すると、手足の成長を促す遺伝子に影響し、薬指が長くなる。 |
さらに、胎児の性格にも次のような影響を与える。 |
自信やリスク指向性、ねばり強さを増す働きだ。 |
ケンブリッジ大学の調査チームがロンドンの金融街シティーで短期取引を専門とする男性トレーダー44人を対象にある調査を行っている。 |
人さし指と薬指との長さの比率と、トレーダーの収益や経験年数などの関係を見ていくと、薬指が人さし指より長い(人さし 指が薬指の93%に相当)グループと短いグループ(同様に99%)とでは、収益の差は 1 人当たり約7800万円以上になっていた。 |
調査チームは、これらの結果から短期取引に必要な集中力や反応速度に影響しているとみている。 |
この記事を読んだ後、すぐに崇史は自分の指を確かめてみた。 |
中指を挟むため、直接、並べることはできないが指の付け根は同一線上にほぼ並んでいる。 |
指先に目を移すと、薬指の方がわずかに長かった。 |
5年前、崇史は「上町倶楽部」でイベントを企画し、実施を目指していた。 |
子供を元気にする活動だと崇史は確信し、賛同してくれるメンバーもいた。 |
一方で、従来のイベントから逸脱した活動形態だったため、メンバーの一部から反対の声が上がった。 |
話し合いは難航した末、あえなく没となった。 |
反対側に回った当時の会長が最終判断を下した。 |
判断した理由の説明はあったが、納得のいくものではなかった。 |
イベントを実施したければ有志でやれば良いという突き放した発言も見られた。 |
決して納得できるものではなく、崇史をはじめとする数名が、しばらく参加を見合わせた。 |
メンバー間の分断が生まれ、士気を落とすことになった。 |
その後、会長が代わり、離反していたメンバーが戻ってきたが、活気溢れていた頃と比べると会の勢いに陰りが見られた。 |
そのため、メンバー一同、危機感をもっていた。 |
活動に参加するメンバーは少なく、会員の募集のチラシを配布しても、様子見で顔を出す程度で定着するものはいなかった。 |
また、子供が卒業すると退会するきまりになっていた。 |
数年先は、これまで開催しているイベントも出来なくなり、会の運営が立ちいかなくなることが予想された。 |
そこで崇史は会で大きなイベントを開き、会員が団結すればできるんだという自信をもたせたいと思った。 |
会員がやってみたいと思える、何か相応しいイベントを探した結果、たどり着いたのがこども駅伝だった。 |
こども駅伝は長く一緒に活動してきた会員の東海林がやりたいと話していた。 |
なぜこども駅伝なのかというと以前、この地域で毎年、行われていたイベントだった。 |
東海林は長女をこども駅伝に参加させたことがあった。 |
崇史も長男を参加させたことがあり、こども駅伝が盛り上がるイベントだと知っていた。 |
ただ、こども駅伝は運営が大変だったため、消滅し、現在、代替のイベントが行われるようになっていた。 |
こども駅伝の盛り上がりを知っている2人は上町倶楽部で復活させたいと話題にすることが幾度かあった。 |
実施できる計画を立てずに放っておけば絵空事で終わる話だったが、東海林の会員資格が残りあと1年となった年度初めの会合で崇史はこども駅伝の実施計画を提案した。 |
提案では、コースは以前のこども駅伝のものを使用した。 |
上町倶楽部の会員が子供を通わせている小学校が5年前に新校舎に移り、現在に至っているが、かつて閉校した中学校があったその場所こそ、こども駅伝のスタート地点だった。 |
スタート地点を出発し、学校の敷地を出て近隣の上町公園まで行き、折り返してくる約800メートルをコースとしていた。 |
提案した時の会員の反応は上々だった。 |
「ほんと、神です。」 |
東海林からは最大級の感謝の言葉をもらった。 |
話し合いでは一言も発しない者もいたため、メンバーの一人である庄司が賛成する意思表示に挙手を求めると全員、手を挙げた。 |
まずは上出来のスタートだった。 |
崇史は今回の提案が没にならないように細心の注意を払った。 |
提案するひと月前、崇史は、警察から道路使用許可が本当に下りるのかを心配していた。 |
そこで崇史は、警察署に行き、交通課担当に提案用の資料を見せることにした。 |
交通課担当は過去に提出された申請書を調べてくれた。 |
その申請書によると2015年までは実施していたことが分かった。 |
さらに実績あるコースなので開催は可能だと話してくれた。 |
ただ、ランナーが公道を走るため、車や自転車の飛び出し、それに伴う接触事故に気を付けないといけないと教えてくれた。 |
コースに入る路地を数えると21人のスタッフが必要だった。 |
崇史は21という数を知った時、メンバーの数では到底及ばないと直ぐに感じ取り、この課題を最後まで抱えることになるだろうと思った。 |
実際、この数を埋めることは最後まで叶わないのだが、途方もない計画に舵を切り始めたと感じた。 |
今回、負荷のかかる提案に崇史が踏み切ったのは会の盛り上がりとは別にもうひとつ理由があった。 |
それは、崇史が東海林にある恩義を感じていたからだった。 |
ここでは詳しく話さないが、崇史が以前、提案し、没になった企画を最後まで応援してくれたのが東海林だった。 |
それ以来、崇史はいつか東海林に報いたいと思っていた。 |
そのため、今回の提案は私情が交っていた。 |
多少の無理が生じたとしても対処法を考え、推し進めるつもりだった。 |
崇史はこども駅伝開催までに次のような段取りで進めた。 |
まず、上町倶楽部の拠点としている小学校にお願いし、運動会の日にこども駅伝開催の告知とスタッフ募集を知らせるポスターを会場内に掲示する許可を得た。 |
ポスターにはボランティア募集をタイトルにし、QRコードで読み込めば応募フォームが表示されるようにした。 |
こども駅伝については日時とコースの簡単な説明のみ伝えるものだった。 |
大半はランナーが公道を安全に走ることができるようにたくさんのスタッフが必要で人が足りていない窮状を訴えるものだった。 |
こども駅伝に参加する心構えをもたせるとともに開催に賛同してくれる保護者を募ることを目的としていた。 |
この後、募集チラシを二の矢、三の矢と配り、参加者とボランティアを確実に増やしていきたいと考えていた。 |
幸先が良いことに、ボランティアに応募してくれた保護者が1名いた。 |
崇史がメンバーにボランティアの応募が1名あったことを伝えると大いに盛り上がった。 |
期待のもてるイベントだという声が上がった。 |